6/16に最終回を迎えた「大豆田とわ子と三人の元夫」を観ました。
なんだろう…。
とわ子の日常を覗かせてもらって、これからもとわ子や元夫たちの続いていくことがすっと受け止められる、この感じ。
変な話、街を歩いていたらじゃれあっている4人とすれ違いそうな気がしてしまう。
本当に最初の話を観忘れたのを悔やんでいます。
微妙な父娘関係とか、お母さんの人柄がわかってない。
もっといえば、元夫とのなれそめとか、離婚した経緯も知らない状態で、この日を迎えてしまいました。
でも、観ていたら何倍も何十倍も何百倍も楽しめたかもしれないけど、各話共感できるところや、心に響くものがあって、途中参加が全然苦じゃなかった。
今、振り返って頭に浮かぶワードをあげるとしたら、
-
「ひとりでも幸せになれると思うんだよね。無理かな?」
「全然余裕でなれるでしょ。なれるなれる」 -
「人の孤独を埋めるのは愛される事じゃないよ。
愛する事だよ」
- 「パーティーの後片付けは大変な方がいいよ。
朝起きて何も変わらない風景だったら寂しいでしょ?
どれも君が愛に囲まれて生きている証拠なんだよ」 - 「愛を守りたい、恋に溺れたい。どれも嘘じゃない」
かな。
≪「ひとりでも幸せになれると思うんだよね。無理かな?」
「全然余裕でなれるでしょ。なれるなれる」≫
とわ子と最初の夫 田中八作とのやりとり。
とわ子が弱みを見せられる元夫であり、欲しいときに欲しい言葉を言ってもらえるのって幸せだなと感じた。
ひとりでも幸せになれるって、勝手に信じたい私にとっても、いい言葉というか、いいシーンでした。
≪「人の孤独を埋めるのは愛される事じゃないよ。愛する事だよ」≫
三番目の夫 中村慎森の言葉。
今の私には響いた。
この後の、ひとりは寂しいって訴えるとわ子さんにも共感。
≪「パーティーの後片付けは大変な方がいいよ。
朝起きて何も変わらない風景だったら寂しいでしょ?
どれも君が愛に囲まれて生きている証拠なんだよ」≫
キャンドルが家中に飾られているシーン。
後片付けの大変さをつぶやいた後の言葉。
どれも君が愛に囲まれて生きている証拠って表現が好き。
≪「愛を守りたい、恋に溺れたい。どれも嘘じゃない」≫
人って長い年月でも一瞬でも変わっていく。
でも、それは全部自分。
仕事をしているときも、プライベートも、弱いときも強いときも全部自分。
そうだよなー、と思った。
つらくなって、ちょっと良いことがあって、不安定になって、嬉しいことがあって。
それでも毎日は続いていく。
そんな日常を見せてもらえて幸せでした。
元夫ボーリングがとても可愛かったです。